仲間の眠る海に散骨を――戦後、胸に秘めた想いを叶えるまで
みなさん、こんにちは。戦後80年を迎える本年。
私たちにとって「teraumi」のきっかけともなった海洋散骨を思い出します。
今から10年前、当社が海洋散骨を初めてお手伝いさせていただいた
60代の男性が、亡くなったお父様の「鹿児島に海洋散骨をしてほしい」という思いを叶えたときのおはなしです。
父の願いで鹿児島に海洋散骨を・・・
ご依頼主さまは
お父様が生前より「自身が亡くなった後は鹿児島に海洋散骨をしてほしい。これは絶対に叶えてほしい」と
息子様に伝えていらしたそうです。
チャーター海洋葬のご依頼をいただいたため、担当をさせていただいた私は、
ご依頼主さまが関東在住だったことや、故人さまも福岡県がご出身だったことから、
「どのようなご縁があって鹿児島で海洋散骨を希望されるのかな?」と思っていたものの、
なかなかお聞きする機会もなく当日を迎えました。
「父さん、あれが薩摩富士だね」
天候に恵まれ、海洋葬当日を迎えることができました。
ご依頼主様と初めてのご挨拶
早速船に乗り込みました。
当日の天気はきれいな晴れの日。
ごくまれーーーーに見ることのできる開聞岳も出航してからみることができました。
すると、息子様が「とうさん、あれが薩摩富士だね。とうさんの仲間がみた薩摩富士だね」と。
そこから、少しずつ 少しずつ
亡くなったお父様がなぜ海洋散骨を希望されたかをお話してくださいました。
「父は、特攻隊の生き残りなんです。亡くなるまで、苦しんでいました」
お父様は、特攻を命じられ、
知覧の土地から仲間とともに、飛び立つことを心に その日を迎えたそうです。
仲間たちが決意を胸に飛び立ち、いざ自身も・・・となったそうですが、
機材の不具合から、飛ぶことができず、次の特攻のその時まで待機している間に終戦を迎えられたそうです。
「ともに過ごした仲間たちに、次は自分も向かうから」という想いがかなえられなかったことが申し訳ないという思い、
裏切ってしまったのではないかという想い、「仲間が飛び立つときのかお」をひと時も忘れることなく、
「父の中で、戦争はずっと続いていたように思います」と息子さんがおっしゃいました。
だからこそ、特攻の隊員の方が最後に見たといわれている薩摩富士(開聞岳)が見える鹿児島の海に散骨を希望されたそうです。
やっと父が穏やかな日を迎えらえること、最後の親孝行です。
お父様が亡くなる際に、息子様の手を固く握り、「鹿児島での散骨を絶対に叶えてほしい」とお伝えになられたことから、
当社にご連絡をくださったそうです。
いざ、お父様のご遺骨を鹿児島の海に散骨されるとき
息子様はなかなかご遺骨を手放すことができませんでした
「父さん、ありがとう」「父さん、苦しかったな」「父さん、鹿児島だよ 仲間さんたちが待ってるよ」
たくさん たくさん の言葉を届けられており、まるでお父様がいらっしゃるような、父子二人の時間がゆっくりと流れているようでした。
「これで親父の戦争が終わるな。父さん、ありがとう」
そうお伝えになられて、ゆっくりとご遺骨を手から離され、お父様のご遺骨が
ふわ~~~と優しく海に広がりました。
やっと、最後の親孝行ができました
息子様は
ゆっくりと じっくりと 海と向き合い、
「やっと 最後の親孝行ができました。これからは分骨した遺骨を納骨している菩提寺に手を合わせることで、供養したいと思います」と一言。
私たちの今があることは
たくさんの歴史や、命を紡いでくださった先祖・そして縁あった皆様がいらしてくださったからだと、
改めて「命」が「あたりまえでないこと」や「毎日が奇跡」であることを痛感した海洋散骨でした。
K様、お元気でいらっしゃいますか?
K様の
「お父様の願いをかなえる」という想いと
「これからの供養を大切にする思い」を感じた瞬間でした。
想えば、この想いも「teraumi」のきっかけとなっているのかもしれません。
終戦80年
今日の一日に感謝して、teraumiブログ、本日ここまで。
みなさまの毎日に少しでも穏やかな時間に包まれますように。