終活のお話…「家族が持つのは同意権」延命の判断を迫られた時…
人の死亡率は100%――。
皆さんこんにちは。
有限会社縁・堤です。
先日、「ミドルエイジのための終活ライフプラン塾」に参加させていただきました。
講師は社会福祉法人恩賜財団済生会 鹿児島病院副医院長 内科・脳神経内科 黒田 明日嗣先生
「あたりまえ」のことが「あたりまえ」でないことに気が付く、そして、知らないことをわかりやすくご教示いただけた貴重な時間でした。
「人の死亡率は100%」
この当たり前の事実を、私たちはつい見ないようにして日々を過ごしています。
しかし、いつか必ず訪れる「その時」に備えて、
自分がどのような医療やケアを受けたいのかを考えておくことは、
自分の尊厳を守るだけでなく、家族を迷わせないためにも大切です。
終末期に備えるということ
終末期には、本人が意思表示できなくなることがあります。
その際に問われるのは、「延命治療をどこまで行うか」、
そして**「苦痛をどの程度和らげるか」**という選択です。
日本では「医療の最終的な決定権は本人」にありますが、
実際の現場では、家族に“同意”を求められることが多くなっています。
そして日本人によくみられる「先送り(後回し)」…が大きな課題を生んでいるそうです。
医療現場でよくある場面
たとえば、救急外来に意識のない患者さんが運ばれてきたとします。
呼吸が止まりそうで、すぐに人工呼吸器を装着する必要がある場合、
医師はまず家族に尋ねます。
「延命処置をしてもよろしいですか?」と。
治療に関しての決定をくだせるのは【本人の意思】であって
家族が持っているのは【治療についての同意】だけだそうです。
そう問われた家族は多くの場合、
「できることは全部お願いします」と答えるほかありません。
本人の意向を聞けないまま、命をつなぐ判断が下されるのです
現場でよく使われる言葉
- DNAR(Do Not Attempt Resuscitation):
「心肺停止状態になった際に蘇生を試みない」こと - ACP(Advance Care Planning)=人生会議:
元気なうちに、自分が望む医療やケアの内容を、
家族や医療者と話し合っておく取り組み。
ACPは「終末期」だけでなく、
「看取り期」や「亡くなった後の対応」まで含めた、
人生の最終段階全体を見据えた考え方です
人が最後を迎える4つのパターン
人の最期にはいくつかの傾向があります。
- ピンピンコロリ型(100人中5人)
元気に過ごし、急に旅立つタイプ。日頃の健康管理が鍵。 - 亜急性型(がんなど)
治療を続けながら、少しずつ体力が落ちていくタイプ。 - 慢性疾患型(慢性腎不全など)
長い治療生活の中で、徐々に体力が低下していくタイプ。 - 慢性衰弱型(フレイル・認知症など)
年齢とともに少しずつ弱っていくタイプ。
医療には限界があります。
抗菌薬で感染症を抑えることはできても、完全に治癒できるとは限りません。
治療が奏功するかどうかは、最終的には本人の回復力(自己修復力)**に委ねられるそうです。
医療はあくまで「補助の道具」。
手術をしても、回復するのは本人の力です。
年齢とともにその力は衰えてく・・・。
「できることはすべてお願いします」という言葉が家族からよく聞かれますが、
それが本当に本人の望みだったのかは、誰にも分かりません。
(テレビドラマの影響でOPEや治療により元気ピンピンに回復する、というイメージがありがちですが、現実はそうではないようです)
家族の葛藤
家族にとって、治療をやめる決断はとても重いものです。
「自分が諦めたら、両親は死んでしまうのではないか」
そんな思いから、わずかな可能性に賭けて治療を続ける選択をする人も多いです。
一方で、「とりあえずできることを全部お願いする」ことが
“最も無難な選択”だと思われがちですが、
その結果、本人が望まなかった治療を受けることもあります。
だからこそ、自分自身で事前に決めておくことが大切なのです。
尊厳ある選択 ― テリ・シャイボ事件に学ぶ
1990年、アメリカのテリ・シャイボさんは心肺停止後、
生命維持装置によって延命されました。
夫は「尊厳死を望んでいた」と主張し、
両親は「回復の見込みがある」と反対。
訴訟は数年に及び、その間に法律さえ変わりました。
この事件は、「本人の意思を残すこと」の重要性を世界に知らしめた出来事でした。
回復の限界
脳死と診断される場合、回復の見込みはないとされます。
奇跡的に回復する例があっても、
もとの状態以上に良くなることはほとんどありません。
寝たきりの人は回復しても寝たきりのまま、
意思表示ができなかった人は、やはり意思を伝えられないままです。
多くの人は、亡くなる3〜4年前から少しずつ体力や食欲が落ちていきます。
「死」は突然ではなく、静かに準備が始まっているのです。
がんと余命の告知
がんで「余命6か月」と伝えられたとき、
治療を続けるか、緩和ケアへ移行するか――
それは本人の価値観によって決まります。
医療をどう選ぶかではなく、
**「どう生きたいか」**を考えることが、
穏やかな最期を迎える第一歩です。
まとめ
人生の最期をどう過ごしたいか。
その答えに「正解」はありません。
ただ、元気なうちに自分の思いを残しておくことで、
家族の迷いや後悔を少しでも減らすことができます。
「リビングウィル」や「ACP(人生会議)」は、
自分の命を他人に委ねず、自らの生き方を選ぶための大切な対話です。
残念ながらこの文章は
黒田 明日嗣先生のお話の前半部分のみ・・・
後半部分は【認知症】について触れられていうようでしたが
昨日🎂だった長男の誕生日会のため、母は帰宅・・・
続きのお話はまた機会がありましたら是非拝聴させていただきたいと思います♪